成年後見制度はどう変わるのか──民法改正案が相続・不動産・事業承継に与える影響
政府は令和8年4月3日、成年後見制度を見直す「民法等の一部を改正する法律案」を閣議決定し、同日国会に提出しました(第221回国会・閣法第43号)。現行の後見・保佐・補助という3つの類型を「補助」に一元化し、いったん始めると本人が亡くなるまで続く終身制を改めて、必要な期間・必要な範囲だけ利用できる制度へと転換する内容です。あわせて、パソコン等で作成した遺言を法務局が保管する「保管証書遺言」も新設されます。本コラムでは、改正案の骨格と背景を整理したうえで、当事務所が注力する相続・不動産処分・事業承継の場面に、この改正がどのように関わってくるのかを解説します。なお本稿は法案の審議中(令和8年6月)に執筆したもので、法律はその後、令和8年6月17日に成立しました(冒頭の追記を参照)。
結論:認知症の親の不動産処分や預金解約、相続手続に直結する改正です
- 改正案は、後見・保佐・補助の3類型を「補助」に一元化し、本人の判断能力や必要性に応じて支援の範囲を柔軟に設計できる制度に改めるものです。
- 制度の必要がなくなれば家庭裁判所の審判で終了できる「終われる後見」へと転換し、終身制を見直します。
- 成年後見は、預貯金の管理・解約、不動産の処分、相続手続といった財産行為のために使われており、相続・生前対策の実務と切り離せません。
- パソコン等で作成し法務局が保管する「保管証書遺言」が新設され、遺言作成の選択肢が広がる可能性があります。
- もっとも、施行は数年先と見込まれ、運用面の課題も指摘されています。現時点では現行制度を前提に対策を組み立てる必要があります。
1. なぜ今、成年後見制度が見直されるのか
成年後見制度は、認知症や知的障害、精神障害などにより判断能力が不十分になった方の財産管理や身上保護を支える制度として、平成12年に始まりました。最高裁判所の統計によれば、令和7年12月末時点の利用者数は合計259,901人にのぼり、内訳は成年後見180,828人、保佐58,162人、補助18,078人、任意後見2,833人です。令和7年1年間の申立件数は43,159件で、前年比およそ3.2%の増加となっています(最高裁判所「成年後見関係事件の概況」令和7年1月~12月)。
制度開始の原因として最も多いのは認知症で全体の61.3%を占め、知的障害9.6%、統合失調症9.3%と続きます。高齢化と単身高齢者世帯の増加を背景に、判断能力の低下に備える必要性は年々高まっています。一方で、いったん後見が開始すると原則として本人が亡くなるまで続くこと、本人の状態が回復しても制度をやめにくいこと、必要以上に広い代理権が付与される運用があることなどが、制度を使いにくくしているという指摘が重ねられてきました。厚生労働省の第二期成年後見制度利用促進基本計画(令和4年3月25日閣議決定)でも、意思決定支援や身上保護の不足、制度の周知不足、地域の体制整備の遅れなどが課題として整理されています。今回の改正案は、こうした問題意識を踏まえ、制度の検討段階から法制審議会での審議を経て、法案として国会に提出されたものです。
2. 後見・保佐・補助の一元化と「終われる後見」
改正案の最大の柱は、現行の後見・保佐・補助という3類型を「補助」に一元化する点にあります。現行制度では、判断能力の程度に応じて3つの類型に振り分け、後見類型では成年後見人に包括的な代理権が与えられるのが原則でした。改正案は、この包括的な代理権を前提とする後見・保佐の枠組みを見直し、本人に必要な範囲の支援を、必要性に応じて個別に設計できる仕組みへと改めようとするものです。内閣法制局の資料では、後見・保佐制度の廃止、補助制度の適用範囲の拡大、特定補助の創設、任意後見契約と補助制度の関係の見直し等が、改正の柱として挙げられています(内閣法制局「民法等の一部を改正する法律案」第221回国会・閣法第43号)。
もう一つの重要な転換が、制度の「終わり方」です。現行の成年後見は、いったん開始すると本人が亡くなるまで続くのが原則で、状態が回復したり、当初の目的(たとえば特定の不動産の売却や遺産分割の完了)を達成したりしても、容易には終了できませんでした。改正案では、制度を利用する必要がなくなったと家庭裁判所が認めた場合に、補助開始の審判を取り消して制度を終了させたり、付与された同意権・代理権の一部を取り消したりすることが想定されています。必要な期間・必要な範囲だけ利用し、必要がなくなれば終えることができる、いわば「終われる後見」への転換です。この方向性については、日本弁護士連合会も、必要性の原則や、必要がなくなれば終わる制度とする方向を評価する一方、運用面の検証や体制整備の必要性を課題として指摘しています(日本弁護士連合会会長声明、令和8年2月12日)。
3. 成年後見と相続・不動産処分・預金解約の関係
成年後見が相続実務と密接に結びついていることは、申立ての動機の統計に表れています。最高裁の統計によれば、令和7年の申立ての主な動機は、預貯金等の管理・解約が39,871件(93.4%)と圧倒的に多く、次いで身上保護31,655件(74.2%)、不動産の処分15,502件(36.3%)、相続手続10,909件(25.6%)と続きます(一件で複数の動機が挙げられるため合計は100%を超えます)。つまり、成年後見の多くは、預金を引き出す、実家を売却する、遺産分割協議に参加するといった、具体的な財産行為のために利用されているのです。
典型的なのは、親が認知症になった後に、その不動産を売却したい、預金を解約したい、あるいは親自身が相続人として遺産分割協議に加わる必要がある、という場面です。判断能力が不十分な方は、単独で有効に不動産を売却したり遺産分割協議に参加したりすることができません。そこで成年後見人(または保佐人・補助人)を選任し、本人に代わって、あるいは本人を支援して財産行為を行うことになります。改正により支援の範囲を柔軟に設計できるようになれば、たとえば「特定の不動産の売却のためだけに支援を受け、完了後に制度を終える」といった、目的を限定した利用がしやすくなる可能性があります。事業承継の局面でも、判断能力が低下したオーナーの保有する自社株式の議決権行使や承継手続をどう進めるかは実務上の難題であり、制度設計の柔軟化は選択肢を広げ得ます。ただし、これらはあくまで法案段階の方向性であり、特定補助人の運用には慎重さが求められるとの指摘もあるため、具体的な活用可能性は施行後の運用を見極める必要があります。
遺産分割の実務で特に問題となってきたのが、相続人のなかに認知症等で判断能力が不十分な方がいるケースです。遺産分割協議は相続人全員でなければ有効に成立せず、判断能力が不十分な相続人がいる場合には、その方のために成年後見人等を選任し、後見人が本人に代わって協議に加わるのが原則です。本来であれば、遺産分割という一つの手続を進めるためだけに、いわばスポットで制度を利用したいという需要があります。
ところが現行制度では、いったん成年後見が始まると、遺産分割が終わった後も成年後見が続いてしまい、本人が亡くなるまで後見人による財産管理と家庭裁判所の監督が継続します。後見人への報酬も継続的に発生します。このため、遺産分割のためだけに後見を申し立てることをためらい、結果として遺産分割協議そのものが進まないという、使いにくさが指摘されてきました。改正案が目指す「終われる後見」、すなわち必要がなくなったと家庭裁判所が認めれば制度を終了できる仕組みは、この場面に直接関わります。一般論としては、遺産分割という目的を達成した後に制度を終えるという、目的限定的・期間限定的な利用がしやすくなる可能性があります。もっとも、終了が認められる要件や運用は施行後の実務に委ねられる部分が大きく、現時点で確定的なことは申し上げられません。いま遺産分割を進める必要がある場合は、現行制度を前提に対応を検討することになります。
4. 任意後見との関係の見直しと生前対策への示唆
任意後見制度は、本人に判断能力があるうちに、将来支援を任せたい人とのあいだで委任事務の内容を公正証書で定めておき、判断能力が不十分になった後に、家庭裁判所が任意後見監督人を選任した時から効力が生じる制度です(法務省「成年後見制度・成年後見登記制度Q&A」)。判断能力があるうちに自分の意思で支援者と内容を決められる点で、生前対策の有力な手段とされてきました。改正案では、この任意後見契約と補助制度の関係についても見直しが図られています。
相続・生前対策の観点からは、認知症等によって判断能力が低下すると、遺言の作成、生前贈与、不動産の組み替え、信託の設定といった対策の多くが事実上行えなくなる、という点が重要です。判断能力があるうちに、遺言・任意後見・家族信託などをどう組み合わせて備えるかは、ご本人とご家族の状況によって最適解が異なります。制度改正の動向を踏まえつつ、現時点で打てる手を早めに検討しておくことが、結果として選択肢を広く残すことにつながります。
5. パソコンで作る遺言──「保管証書遺言」の新設
改正案には、成年後見制度の見直しとあわせて、新しい方式の遺言である「保管証書遺言」の創設も盛り込まれています。報道等によれば、これはパソコン等で作成した遺言を法務局が保管する仕組みとされ、自筆証書遺言のように全文を手書きする負担を軽減しつつ、保管によって紛失や改ざんのリスクに対応しようとするものです。現行制度でも、自筆証書遺言を法務局で保管する制度(自筆証書遺言書保管制度)は存在しますが、保管証書遺言は遺言作成の選択肢をさらに広げる可能性があります。
もっとも、遺言は方式の不備があると無効になりかねず、内容面でも遺留分や納税資金、不動産・非上場株式の評価などに配慮しなければ、かえって相続争いの火種になります。方式が多様化しても、誰に何をどのように承継させるかという中身の設計が重要であることは変わりません。新しい方式の具体的な要件や利用方法は、法案の確定と施行を待って確認する必要があります。
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6. よくある質問(FAQ)
Q1. 改正法はもう成立したのですか。いつから使えるようになりますか。
A. 成立しています。改正案は令和8年4月3日に閣議決定・国会提出され、令和8年6月17日に成立、6月24日に公布されました(令和8年法律第45号)。ただし、施行日はまだ決まっていません。成年後見制度の見直しは公布の日から2年6月を超えない範囲内で政令で定める日に施行されるため、遅くとも2028年12月頃までに始まります。それまでは、現行の成年後見制度を前提に対策を考えることになります。
Q2. 認知症の親の実家を売りたいのですが、改正を待った方がよいですか。
A. 一般論として、判断能力が不十分な方の不動産を売却するには、現行制度では成年後見人等の選任が必要です。改正法はまだ施行されていないため、いま対応が必要であれば現行制度で進めることになります。改正によって目的を限定した柔軟な利用がしやすくなる可能性はありますが、施行時期や運用は未確定です。売却の必要性や時期、税務上の影響を含めて、個別の事情に応じた検討が必要ですので、早めに弁護士へご相談ください。
Q3. 後見・保佐・補助の一元化で、今後は本人にとって使いやすくなるのですか。
A. 改正案は、必要な範囲の支援を必要な期間だけ利用でき、必要がなくなれば終えられる方向を目指しており、使いやすさの向上が期待されています。ただし、日本弁護士連合会や日本司法書士会連合会の会長声明では、特定補助人の限定的・厳格な運用、定期的な司法審査の実効性、家庭裁判所や地域機関の体制整備などが課題として指摘されています。制度がただちにすべて使いやすくなると断定するのは早計で、運用の積み重ねを見守る必要があります。
Q4. すでに後見が開始している場合、改正後はどうなりますか。
A. 既存の後見等が改正後にどのように扱われるか(経過措置)は、成立した改正法の附則で定められています。施行日は内容ごとに政令で定められ、本稿更新時点ではまだ決まっていません。既に後見等を利用している方は、施行日が決まった段階で、附則の経過措置に沿って具体的な取扱いを確認する必要があります。
Q5. 生前対策として、いま何をしておくべきですか。
A. 判断能力があるうちにしかできない対策が多いという点が重要です。遺言の作成、任意後見契約、家族信託、生前贈与などは、いずれもご本人に判断能力があることが前提となります。認知症等で判断能力が低下すると、これらの多くが事実上行えなくなります。改正の動向を見つつも、現時点で打てる手を早めに整理しておくことが、ご本人とご家族の選択肢を守ることにつながります。特に不動産や非上場株式が財産の中心を占める場合は、評価や納税資金の問題も絡むため、専門家を交えた設計をお勧めします。
まとめ:制度の転換期だからこそ、早めの備えが選択肢を広げます
成年後見制度の改正案は、後見・保佐・補助の一元化と「終われる後見」への転換、保管証書遺言の新設を柱とする、制度の大きな転換点です。成年後見は、預金の解約や不動産の処分、相続手続といった財産行為のために使われており、相続・生前対策の実務と切り離せません。一方で、改正法はまだ施行されておらず、運用面の課題も指摘されています。だからこそ、改正の動向を正確に押さえつつ、現時点で打てる対策を早めに検討しておくことが重要です。当事務所は、不動産や非上場株式といった評価が問題となる相続案件を中心に、遺言・遺産分割・遺留分・事業承継への対応に注力しています。
非上場株式の評価をめぐる最判令和2年3月24日(タキゲン事件)の解説、
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参考一次情報
- 法務省「民法等の一部を改正する法律案」(令和8年4月3日国会提出。法律案要綱・法律案・理由・新旧対照条文。法務省)
- 内閣法制局「民法等の一部を改正する法律案」(第221回国会・閣法第43号、令和8年4月3日閣議決定・国会提出。内閣法制局)
- 衆議院「議案審議経過情報 閣法第221回国会43 民法等の一部を改正する法律案」(衆議院)
- 法務省「法制審議会第204回会議(令和8年2月12日開催)」要綱案の答申(法務省)
- 法務省「民法(成年後見等関係)等の改正に関する中間試案」(令和7年6月10日取りまとめ。法務省)
- e-Gov「『民法(成年後見等関係)等の改正に関する中間試案』に関する意見募集の結果」(提出意見311件。パブリックコメント)
- 最高裁判所「成年後見関係事件の概況 令和7年1月~12月」(申立件数・利用者数・申立ての動機・開始原因の統計。裁判所)
- 厚生労働省「第二期成年後見制度利用促進基本計画」(令和4年3月25日閣議決定。厚生労働省)
- 法務省「成年後見制度・成年後見登記制度Q&A(任意後見制度について)」(法務省)
- 日本弁護士連合会「民法等(成年後見等関係)の改正に関する要綱に対する会長声明」(令和8年2月12日。日本弁護士連合会)
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【この記事の執筆者】
執筆・監修:弁護士 小林 洋介(こばやし ようすけ)
弁護士法人IGT法律事務所 代表パートナー弁護士
慶應義塾大学法学部卒業/東京大学法科大学院修了
東京弁護士会所属(相続遺言部会)/認定経営革新等支援機関/2級FP技能士
相続・事業承継分野を中心に、遺産分割・遺留分侵害額請求・生前対策まで幅広く対応。
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